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第16話「時間」へのこだわり  〜今も続く悪しき?性格の形成

新社会人としての生活が始まっても、私の心の中も生活も、以前と何ら変わる事は無かった。
そもそも、「社会人」と「学生」という区別のつけ方が大嫌い。学生だって社会の一員としての責任がありますから、
社会人ですよね。20歳を過ぎていれば、大人としての権利も主張したいじゃないですか?
このあたりの意識が低レベルなのが日本の学生と大人が甘ったれが多い原因の一つではなんて思ってますが・・・

話が脇にそれました。とにかく私の信条としては、「学校を卒業したからといって自分のスタンスを失いたくない」と言う事で、
その後の生活の中心は、ダートトライアルを一日も早く再開する事、というよりは「社会人の財力」をもってして、
今まで以上にダートラ三昧に突入する事でした。

初任給18万円から、毎月6万円をローンの返済にとられ、1万円を住居費に。残りが生活費と言うわけですが、残ったお金のほとんどをランサーの改造費に投入。いくらエボユーションとはいえ、ドノーマルのランサーでダートラに出るには相応の準備がいります。
ランサーターボ時代の経験とPD誌で情報収集し、一日も早く参戦できるようにとじゃんじゃん投資していきました。

先ずは今もある東京のアレックスさんの通信販売にて、アンダーガード(6万くらい)を買い、レギュレーション上必要であったロールバー(7万くらい)を買いました。さらにラリー用のKYBのショックアブソーバー約8万円、BSのラリータイヤ一式、同じく8万円。バケットシート2脚で15万円。マッドフラップ2万円。既にお気づきのことと思いますが、それらの資金はいったいどこから?

当時はバブル末期。入社式のその日に百○銀行の銀行員がやってきて、新人相手に30万円まではいつでも銀行のカードでおろせるキャッシングサービスをつけてくれて、しかもDCカードを別で作成してくれたのです。
今にして思えば、私のエリア88のような借金返済と戦う日々はこの時から激戦モードへ。

このページはそもそも「君にもとれる、国際Cライセンス」という事でしたから、はっきり言います。

借金はいけません。(しみじみ)

モータースポーツはお金との戦いです。私のようにあせってはいけません。今回のお話以後三年分の「お金」と「買い物」の記録は、
もっとも悪い見本としてご参考くださいね。
さて、チューニングについて続けます。一連の購入したパーツは、すべて自分で組み立てていきました。そのコンセプトを一つずつ語っていきましょう。

1 アンダーガード (ARPスポーツ製、ダートラ用) 
ダートラを走る際には必ずエンジン下部は守る必要があります。これ以外にもフロアガード、タンクガードといったものが存在し、装着が常識化していましたが、他にも購入しなくてはならないものが多すぎて、それらは犠牲となって無視されました。当時の私は、「アンダーガード以外は軽量化のためには不要」と本気で考えてもおりました。(間違いです。後に大痛手を負うことに・・・)

2 ロールバー 6点式5名乗車仕様 せ−フティ21製 
ここは大変悩みました。その年からロールバーが必着となり、「軽量化のため設置せず」が通じなくなっていました。何しろ「営業用」車両として会社に届け出てありましたので、後部座席に人が乗れないのはダメだといわれていました。当然、5名乗車仕様の6点式を購入したのですが、装着には本当に抵抗がありました。自分で、新車に「床に穴をあけて取り付け」なければならないのです。納車後一ヶ月、震える手でドリルにて穴を開け、取り付けていきました。今からつける人にはあたりまえにアドバイスできる、「防水加工」
当時の私は仲間内でも初挑戦だったので、そんなところまで頭が行きません。雨のイベントを重ねるにつれ浸水、
早期に潔く内張りを廃棄する原因となりました。 (もちろん、悪い例です。)
 
3 KYB製ラリースペシャル ショクアブソーバー
 失敗だらけの買い物の中で、これが一番だめでした。当時まだまだニューカーだったランエボには、ギャランVR4用を改造加工するか、これを買うしか物が出揃っていませんでした。他に選択肢も無いまま購入、装着しましたが、初めてのダートトライアルにて、リヤタイヤがフェンダーに干渉しつづける大惨事となり、わずか一戦で購入しなおす事になったのです。

何でも、発売早々のものは決して買ってはいけません

後に、実はランエボそのものがその通りであった事にすぐに気が付くことになるのですが、この頃は知る由もなし。

4 BS製ラリータイヤ サイズ 185-65-15
銘柄はさすがに忘れましたが、このサイズにご注目。当時このサイズのラリータイヤは存在せず、これまたBSのみが新商品としてこのサイズを作ったばかりでした。こちらも選択肢が他に無く購入。この変なタイヤサイズには、後にこの車の最大の弱点となるのですが、やはり知る由もなし。

5 バケットシート ブリッド製 セミバケットタイプ
15話でも書いた通り、純正シートは4点式ベルトもかける事が出来ないなで肩構造のビニールシート。当時通信販売で最も安価なものを選んで2脚買いました。ダートラなのに2脚いるのかって?練習中、横に乗ってもらってタイムをとってもらうのに、助手席の4点式ベルトは私としては必要なアイテムでした。当時も自分については無頓着で、ややもすれば普段のシートベルトもサボりがちでしたが、助手席の彼女がサイドウインドウで頭を打って以来、大変神経質になっていました。今でも変わらない気持ちですが、モータースポーツをやるドライバーで、同乗者に怪我をさせるのが一番恥ずべき事だと思います。また、結果的にはこの時無理して助手席まで購入した事が、私のラリー参戦への道筋を付けたともいえます。
ただし、このシート、多分日本で一番体の疲れるリクライニングシートだったと思います。性能は劣悪そのもので、以来の
ブリッド嫌いです。 やはり、「安物買いの銭失い」の真骨頂でした。

6 マッドフラップ ラリーアート製
唯一以上の購入品の中で、会社の部品部で手配しました。だって三菱マークが付いていてかっこよかったんです。
ご想像の通り、かなり見た目だけのもので、ダートラ初戦にて前後4枚中3枚脱落という快挙を成し遂げてくれました。以後も試合毎に順に脱落。今はしりませんが当時のラリーアートブランドはかなり「見た目だけ」の使えない代物ばかりでした。翌年には社外品の材料にて何度も試作を試み、最終的には自作のオーバーフェンダータイプとなりました。

はい、以上参考になりましたでしょうか?ここまでおろかな買い物を続けていたのにはわけがあります。それは、一刻も早く試合に出場したかったからにほかなりません。最新鋭マシンを手にしたい上、その優位性があるうちに試合に投入したかったのです。
借金してでも時間を買いたい!これが本音でした。
当時のダートラ界は大盛況で、三菱ギャランとスバルレガシィの対決で大ブームとなっており、エボリューションの投入と、インプレッサの登場でいよいよ盛り上がっていたのです。そして9月にはエボリューションは「U」の発売がすでに決まっており、「それまでに勝ちたい」というあせりがあったのでした。こうして3月末に購入した車で、5月には以上の暫定装備で山室山に投入。約35台のクラス中13位?で初戦を終えました。もちろん納得のいく成績ではありませんでしたが、はじめての4WD、250馬力、フェンダーに当りつづけるリヤタイヤといった条件下では仕方の無いものであったともいえます。ちなみに自分より上位にはエボリューションはほとんどおらず、大半がギャランだったことを記憶しています。やはり、装備不十分の最新鋭機よりも完全装備の旧式機が有利である事に、当時は戦ってみるまでわからなかったのでした。あせりは、購入後数ヶ月もたたないうちに大きくなっていくのでした。

 



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