空


第14話 就職決定は1日。

大学6年生で、ようやく進路を考えるようになった。とはいえ在学中からの希望は、「大学に残って歴史の研究」。
5年のときに大学院受験に失敗し、ようやく「頭もお金も不足」という現実に気づきつつあった。
「いつかは大学へ」なんて思いつつ、いやいや就職を検討。しかし一旦考えたら早かった。
「車(ランサーで競技)を続けられる、理想的な就職」=三菱自動車 
地元就職セミナーで、三重三菱自動車のみ訪問、面接、内定をもらった。
就職活動1日。訪問1社。面接1社。
生活用品の買い物をするのと同じように、就職を決めた。(結局当時の自分には大した問題ではなく、どうでもよかったのだ。)
初任給と休日(週休2日)だけ確認して、「何の仕事か」すら知らずに内定を貰った。恐るべき感覚。
うそのようだが、「営業マン」になるという事すら認識が無かった。EM2が働いている兵庫三菱自動車の
夕方6時以降無法地帯と化した整備工場で、めいめい自分の車を触っていたメカニック達の姿にあこがれて、
自分も「三重三菱自動車」を駆使してランサーターボと競技を完遂する事だけを夢見ていたのだった。

そんな私に当時の人事部長がひどいおせっかいをやいてくれた。
いわく「新入社員は仕事用に必ず新車を買ってもらっているので、君はランサーエボリューション(注1)を買いなさい。」と。
私は必死で嘆願した。「ランサーターボではだめなんでしょうか??」
「(旧いので)だめです。君のランサーエボリューションは予約してあります。」
ほとんど押し売りである。
会社の借り上げ社宅に住むことが決まっていた事もあり、2台維持する事は不可能。
新車をどうしても買わなければならないのなら、せめて競技仕様に出きるRSにしよう・・・
私は人事部長に申し出た。
「わかりました。エボリューションを買います。でも、GSRではなくてRSにしてください。(注2)」
部長「少し高いけど、GSRの方が快適だよ。RSにはエアコンもステレオもないよ」
私「はい。どちらもいりません!」
部長「・・・じゃあ、後は君の先輩に当たる営業マンを紹介するから、彼と話をして。」

先輩営業マン「200万の車ですが、特別に就職前ですが従業員価格の190万円になります。諸経費込みで220万。」
私「フルローンでお願いいたしまする。」
先輩「では、頭金として30万円を・・」
私「お願いです。フルローンで・・」
先輩「だめです。頭金は鉄則です。」

後に知ったが、この先輩、どうしようもなく融通が利かない。私の場合両親がしぶしぶとはいえ保証人になってくれたので、
頭金は不要であった。しかし、この先輩は一歩も引かず、私は泣く泣く契約書に印を押した。
この瞬間、エリア88に売られた風間真のように、その後の私の人生を茨の道とする厳しい
雇われ借金人生がスタートした。
もちろん、 このときは知る由も無い。



ところで、インターネットのない当時、情報はいつもPD誌(注3)に頼っていたのだが、この「売りたし」コーナーで
愛車、ランサーターボを売却することにした。車検つきの車両、フルダートラ仕様、アルミ3セット付、40万円で投稿。
我ながら破格だった。雑誌への投稿なので、原稿を郵送し、2ヶ月遅れでようやく掲載されるであろう2月末のある日、
私は彼女(今の嫁)をのせて、傘○山へ走りにでかけた。(当時のタイム、2分23秒。かなり速かった。)
その帰り道、突然のエンジンの「ブーン」という異音に、彼女に言った。「車が、止まるかもしれない。つかまって!」その直後、
エンジンがストップ、リヤタイヤがロックした。瞬間クラッチを切り、事故には至らなかったが、夜の津上野線で立ち尽くした・・・

売りに出している車が止まってしまったのだ!その日から、バイトの合間をぬって、ランサーのエンジンとの格闘がはじまった。
40万で売る為に、飛んでしまったタイミングベルトを張り替えることにした。当時の私は整備士免許を取得したばかりで、
エンジンに興味津々であった事も、「災い」した。就職前から会社の部品センターの常連と化し、ベルトとウオーターポンプ、
整備解説書を手に入れた。この、自分的には初の難しい整備は成功し、部品代数万円の出費で
売却益40万円が手中に納まるはずであった。

PD誌発売まであと数日・・となったある日、今度は「タタタタ」という異音が発生。よく聞くと日々音が大きくなる。
早速EM2に電話した。電話診断、エンジンのメタルの破損。
これは大事である。いわゆる「オーバーホール」を行わなくてはならない。エンジンをおろし、ばらばらにする・・・
場所も無い。お金も減ってしまう。 やむなく自分の下宿の駐車場で、エンジンの下側、オイルパンのみをはずして
メタルの交換に挑んだ。吹きさらしの2月、地面はアスファルトではなく砂利。オイルがこぼれても気にしなくて良いかわり、
風が吹くたびエンジン内部に砂が入った。今から考えたら、修理ではなくて、破壊だった。
こうして苦労の末くみ上げたメタルだったが、案の定、試運転のその日の夜に症状がぶり返した。

私はムキになっていた。何が何でも修す!そしてオーバーホールを決意。エンジンをおろすための場所探しを開始。
といってもお金が無いので修理工場を借りに行った訳ではない。エンジンを吊り上げるクレーン、チェーンブロックを吊り下げる場所を
探してさまよい歩いた。学校のゲートや、海岸の枝ぶりの良い松、自分の下宿の玄関・・・
そしてついに発見したエンジンの出産場所、それが「ふじやんのアパートの玄関の前」だった。
この非常識ペアは、頼む方も頼む方だが、引き受ける方も引き受ける方で、二つ返事でOKをくれた。(昼間から酔っていた。)
彼の部屋の玄関前に車を停めて、チェーンブロックをアパート二階のフェンスにくくりつけ、本当にエンジンをおろしてしまった。
普通の学生アパートの部屋の前に、三菱G62Bエンジンがぶらさがっていた。下はオイルまみれだった。
本当に後先を考えない性格の2人は、産み落とされたエンジンをさかなに乾杯した。まったく、つける薬の無い馬鹿だった。

注1 当時、初めての試みとして、ラリー専用車としてメーカーが作ったまさに「エボリューション」モデル。
    その頃はもちろん、翌年にUが発売される事や、ましてシリーズ化することなどは予想されていなかった。

注2 ランサーターボとは違い、GSRとRSとには雲泥の差があった。エアコンの有無。レカロシート→ビニールシート 
   パワーウインドウ→手回しウインドウ アルミホイール→鉄ホイール などなど。



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