第10話 トライアルスタッフオン! 誕生秘話
沢山車は乗り換えて来たが、高校一年から彼女は一人だった。
長年の悪行が祟り、そんな大切な彼女と別れてしまった、大学4年の秋。
自業自得のくせに、お定まりのようにグレた。まさに大学デビュー。
普通の若者が高校を卒業するまでに卒業する、
「暴走」と「けんか」三昧の日々に転落。
大学も4年生ともなると、そこに「酒」とか「賭博」とかも入ってきて
もう大変。
昼間は例の車屋さんで働き、夜は大門で飲んで大暴れ。
もはや学生でもなかった。
似たような暮らしを続けていた、この道の先輩には
ふじやんとかがいた。
学校の後輩ながらすでに退学。二人揃うとほとんど愚連隊。
彼は大門でバーテンとして働いていた。この頃からの悪者コンビ。
私のこの「大学デビュー」で決定したもの。
1芦屋生まれ西宮育ちのおぼっちゃんから、がらの悪い兄やんに変身。
2たった一つ残ったドイツ語の単位がいつまでも取れずに留年。
3毎晩一升酒を飲んだため、ついに肝炎。
4肝炎の治療のために帰省。さらに留年。
この惨状を見かねた後輩のF君が、運命の提案をする。
「先輩、クラブを作ってダートラをやりましょう。」
直訳すると
「あんた、もう車しか残ってないやん、まっとうに走ったら?」
本当にいい後輩である。ちなみにふじやんの同郷同窓の先輩である。
私は当時のサークルの有志および関係各位に打診して10名の同志を得る。
「JAF準加盟モータースポーツクラブ トライアルスタッフオン!」
誕生する。
皆でJAFの講習を受けて、ついにB級ライセンスを取得した。
しかし、私の車はなんと、あのシルビアだった。
http://www.geocities.co.jp/MotorCity/9185/240rs06.jpg
例の車屋さんで5万円で売ってもらったあのワインレッドの
超ヤンキー仕様。爆音マフラー付きで、べらぼうに遅かった。
スタッフオンを結成するきっかけを作ってくれたF君は、
自らの86トレノ(ちなみに全くのイニシャルD仕様、絶不調デフなし車)にガードだけつって
なんだか良くわからないダートラタイヤを装着して、
名阪スポーツランドダートコースに初出撃した。
テクなし、金なし、情報なし、デフなし、、、
結果は無残なほどの惨敗。
コース上でドラム缶を抱き、スタックする始末。
彼は後日、一緒に応援に来てくれていた家庭教師先の教え子に、
プラモデルでドラム缶ごと再現された上プレゼントされ、
心に一層の深手を負う。
私はその姿に心を打たれた。
私を更生させる為に、後輩がここまでやってくれた、、、
私は例の車屋さんに爆音シルビアの処分と、次の車を依頼した。
「ダートラに出て勝てる車、そう、速いFFだったら何でもいい」
ついに、競技車を購入することにしたのだった。すでに21歳だった。
二人ではじめて出たダートラにて。ゼッケン160番台!盛況だったんだな〜
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